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ミランダジュライ「あなたを選んでくれるもの(IT CHOOSES YOU)」

人生や日常に、あらゆる可能性や解釈を与えてくれるような…そんな素晴らしい本に出逢ったので、メモ。

 

ミランダジュライの「あなたを選んでくれるもの(IT CHOOSES YOU)」

訳は岸本佐知子さん。(今回も絶妙な塩梅の翻訳で、素晴らしい!)

 

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<あらすじ>

映画の脚本執筆に行き詰まった著者は、息抜きに読んでいたフリーペーパー(ペニーセイバー)に目を付ける。売買広告を載せている人は一体どんな人なんだろう?どんな風に、暮らしているのだろう?彼女は見ず知らずの人々に電話をかけ、インタビューを依頼し始める。

 

彼女がインタビューで出会う人たちは、ある意味クレイジーというか、とにかくどの人もキャラが立っていて、なかなかに衝撃的だ。それぞれが全く異なる、想像以上に生々しくて濃いリアルを生きている。(ウシガエルのオタマジャクシを売っている高校生や、性転換を続ける中年男性、珍獣に囲まれて暮らす女性、などなど)

 

彼女は八方ふさがりな執筆作業の傍ら、インタビューを自分のミッションとして続けていくのだけれど、生身の人間がもつ現実に打ちのめされ、自分の脚本の陳腐さに何度も絶望する。映画が完成するまでに、脚本は93回もリライトされたとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本がきっかけで、いろんなことを考えた。

わたしは今はまだ若く、「時間=可能性」だけれど、もっと歳をとったら少しの失敗や冒険をすることも、躊躇うようになってしまうのだろうか。とか、時間とともに朽ちていく自分の体を愛せるようになるのだろうか、とか。

また、ミランダ本人も言っていたように、実際に貧しくて不便な暮らしを強いられている人に出会ったら、いやらしい優越感を掻き立てられてしまいそうだという心配もある(心配と表現するのもおかしな話だけれど、偽善だとしても良い人でありたいという思いが心の奥底にあるので)。

 

 

そして一番ひしひしと、感じたのが、見えないものの存在を受け入れることの大切さについて。普段見えない、抽象的な存在を見ようとする行為には、想像力と少しの厚かましさが必要不可欠なのだと。

例えば、それは、道を歩いていてすれ違う人や、アパートの両隣の住民、すべての人にそれぞれの人生があるということでもある。改めて、この世のすべての人がそれぞれ異なる物語を持っていることに気がついて、目眩がして倒れそうになった。宇宙のことを考えてクラクラする感覚に似ているかも。

 

 

わたしは、頭の中で勝手に作り上げた妄想で、落ち込むことがよくある。

彼女の言葉を借りて言えば、「ひとりの人間を、自分の頭の中の物語バージョンの人とすり替えてしまう」ということをよくやってしまう。

「この人は、実は全く違うことを考えているのかもしれない!」という想像力と、直接その人と関わっていくような踏み込んだ態度をとることで、自分の周りから視野を広げていくことを心がけようと、強く強くおもった。

 

本文にこんな記述がある。

”わたしは性急に何か具体的なアドバイスをしたい誘惑にかられた。うちの兄が湿地帯を復元する仕事をしているんだけれど、そこに見習いで入ってみない?➖

そんな言葉が喉元まで出かかった。でも、誰と会ってもその人の直面する問題ばかりに目がいってしまって他の部分がまるで見えなくなるのは、たぶんわたしのよくない癖なのかもしれなかった”

 

存在を認める=受け入れることと、他人の人生に介入したり、自分の人生に取り込んだりしようとすることは全く違うことだ。

ミランダジュライは、そこの線引きがかなりしっかりとできた人で、その意味で相手のことを尊重できる立派な人だと思った。

 

 

 

 

今日はこれから、この本が元になった映画「ザ・フューチャー」を見ようとおもっている。トレイラーを拝見したのだけど、本を読んでから動画を見るとすごく新鮮。たのしみだ。

 

 

 

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