Keep It Like A Secret

雑記、音楽、映画レビューなどなど。

ミランダジュライ「あなたを選んでくれるもの(IT CHOOSES YOU)」

人生や日常に、あらゆる可能性や解釈を与えてくれるような…そんな素晴らしい本に出逢ったので、メモ。

 

ミランダジュライの「あなたを選んでくれるもの(IT CHOOSES YOU)」

訳は岸本佐知子さん。(今回も絶妙な塩梅の翻訳で、素晴らしい!)

 

f:id:ganko2_zawazawa:20170117014631j:plain

 

 

 

<あらすじ>

映画の脚本執筆に行き詰まった著者は、息抜きに読んでいたフリーペーパー(ペニーセイバー)に目を付ける。売買広告を載せている人は一体どんな人なんだろう?どんな風に、暮らしているのだろう?彼女は見ず知らずの人々に電話をかけ、インタビューを依頼し始める。

 

彼女がインタビューで出会う人たちは、ある意味クレイジーというか、とにかくどの人もキャラが立っていて、なかなかに衝撃的だ。それぞれが全く異なる、想像以上に生々しくて濃いリアルを生きている。(ウシガエルのオタマジャクシを売っている高校生や、性転換を続ける中年男性、珍獣に囲まれて暮らす女性、などなど)

 

彼女は八方ふさがりな執筆作業の傍ら、インタビューを自分のミッションとして続けていくのだけれど、生身の人間がもつ現実に打ちのめされ、自分の脚本の陳腐さに何度も絶望する。映画が完成するまでに、脚本は93回もリライトされたとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本がきっかけで、いろんなことを考えた。

わたしは今はまだ若く、「時間=可能性」だけれど、もっと歳をとったら少しの失敗や冒険をすることも、躊躇うようになってしまうのだろうか。とか、時間とともに朽ちていく自分の体を愛せるようになるのだろうか、とか。

また、ミランダ本人も言っていたように、実際に貧しくて不便な暮らしを強いられている人に出会ったら、いやらしい優越感を掻き立てられてしまいそうだという心配もある(心配と表現するのもおかしな話だけれど、偽善だとしても良い人でありたいという思いが心の奥底にあるので)。

 

 

そして一番ひしひしと、感じたのが、見えないものの存在を受け入れることの大切さについて。普段見えない、抽象的な存在を見ようとする行為には、想像力と少しの厚かましさが必要不可欠なのだと。

例えば、それは、道を歩いていてすれ違う人や、アパートの両隣の住民、すべての人にそれぞれの人生があるということでもある。改めて、この世のすべての人がそれぞれ異なる物語を持っていることに気がついて、目眩がして倒れそうになった。宇宙のことを考えてクラクラする感覚に似ているかも。

 

 

わたしは、頭の中で勝手に作り上げた妄想で、落ち込むことがよくある。

彼女の言葉を借りて言えば、「ひとりの人間を、自分の頭の中の物語バージョンの人とすり替えてしまう」ということをよくやってしまう。

「この人は、実は全く違うことを考えているのかもしれない!」という想像力と、直接その人と関わっていくような踏み込んだ態度をとることで、自分の周りから視野を広げていくことを心がけようと、強く強くおもった。

 

本文にこんな記述がある。

”わたしは性急に何か具体的なアドバイスをしたい誘惑にかられた。うちの兄が湿地帯を復元する仕事をしているんだけれど、そこに見習いで入ってみない?➖

そんな言葉が喉元まで出かかった。でも、誰と会ってもその人の直面する問題ばかりに目がいってしまって他の部分がまるで見えなくなるのは、たぶんわたしのよくない癖なのかもしれなかった”

 

存在を認める=受け入れることと、他人の人生に介入したり、自分の人生に取り込んだりしようとすることは全く違うことだ。

ミランダジュライは、そこの線引きがかなりしっかりとできた人で、その意味で相手のことを尊重できる立派な人だと思った。

 

 

 

 

今日はこれから、この本が元になった映画「ザ・フューチャー」を見ようとおもっている。トレイラーを拝見したのだけど、本を読んでから動画を見るとすごく新鮮。たのしみだ。

 

 

 

youtu.be

 

 

 

 

 

 

「裸足の季節」

裸足の季節」レビュー 

 ※ネタバレあります
 
 
 f:id:ganko2_zawazawa:20160719033306j:plain
 
☆4.7
先週シネスイッチ銀座裸足の季節を観てきました。
 

思春期特有の女性の危うさや鮮やかさが繊細に描かれていて、とっても瑞々しい作品。印象的なシーン作りが上手くて、本編は97分だけど120分ぐらい観ていたような充実感があった。

ま〜それにしても姉妹5人ともほんまに綺麗!美しいものを美しく撮るという映画の醍醐味が体現されてたと思う。追われる緊迫感や、父親の狂気性が手持ちカメラで効果的に撮られていたところも、良かった。

 
 
 
 

f:id:ganko2_zawazawa:20160719034310j:plain

 
この作品のレビューを覗くと、慣習を犯してまでも自由になることは、本当に必要だったのかという感想をよく見かける。
う〜〜〜ん、難しいところだけれど、わたしは家を飛び出す以外のハッピーエンドはあり得なかったと思うし、行動や仕草ひとつひとつが性の対象されるトルコ社会には少々辟易した。以前、トルコに旅行したことがあるけど、田舎の地域は女性の機織りの技術で結婚相手が決まってしまう(!)など、なかなか前時代的な世界でびっくりしたことを思い出す。
 
普段から我慢することが多い社会だから、トルコポップスってあんなに爆発的なのかなぁとも思ったし、そういえば、ラマダンの習慣も禁欲の最たるものじゃないか…。文化や人の気質も西洋と違うのは当たり前だけど、トルコは特に"ケ"と"ハレ"の差が激しい地域だな〜としみじみ感じた。
 
 
慣習からの脱出というよりかは、彼女たちは自ら輝ける居場所を求めていただけで、この作品を単なる逃亡劇としてネガティヴな印象に留めて欲しくないと思った。最後のイスタンブールの煌めく朝焼けは紛れもなく希望の象徴だと思ったんだけど人によっては不安を煽ったりもしたのかな?
社会形態をまるごと否定する訳ではなく、閉鎖的な場所で声を挙げることが一番大切なことだと思う。
 
 
 f:id:ganko2_zawazawa:20160719034246j:plain
 
そしてもうひとつ、女性監督ならではの、演技における、細やかな配慮が興味深かった。
怒りや焦燥感を食べ物にぶつける仕草(むちゃ食い的な)、女の子同士の戯れ(スキンシップやひそひそ声でアイコンタクトをとって笑い合ったり)、あと同性だけだとどうしてもだらしなくなる部屋着とか…。女の子にとってはあるあるだと思ったんだけど、男性はどうみてたんだろう。劇場にいる男性の様子を見て、中学時代に女子同士でスカートめくりやおっぱいタッチが流行った時のことを思い出しました(すみません)。
 
 
姉妹がサッカーの試合を観に行くために家から脱走するシーンがあるんだけど、マッドマックスみたいなスピード感で、はちゃめちゃに良かった、とにかく、良かったです。(たまたまその時期にユーロサッカーを観ていたことも、大いに関係している)
また、冒頭のトルコの海は天国みたいだった。真っ白なワイシャツで、性も年齢も関係なくじゃれ合う男女の姿は、天使の象徴だったと思うし、あのシーンは実は夢だったのかなとも疑ってしまう。
美しすぎて、ある意味ショッキングなシーンだった。
 
 
 
 
 f:id:ganko2_zawazawa:20160719033405j:plain
 
本作は、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の初作品。彼女はトルコで生まれ育ち、フランスで映画を学んでいたそうな。そして驚くべきは三女のエジェ役のエリット・イシジャン以外は全員演技未経験者らしい。
末っ子マーレ(ギュネシ・シェンソイ)の強い眼差しには、作品の意志が宿っているようで、すごく魅力的だった。
(余談ですが、彼女のInstagramも最高なので見てほしいです)
 
 
 
反吐がでるぐらい窮屈な社会で声を挙げることはとてつもなく勇気のいることだけど、保守的なイメージ像に自分を合わせることなく、もっと女の子はみんな自由に生きればいいんじゃないでしょうか。「クソ色の」社会に向き合って疲弊するほど虚しいことはないので、うまくやり過ごしながら輝いていきたいものです。
 
 
おしまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

はじまりました。

今まで若干距離を置いていた「はてぶ」とうとうデビュー。

 

昔から、こっそりブログのURLなんかを貼り付けている知人を発見してしまったその日には、心躍らせながら記事を読みに行ったりしたものです。

自分にとって他人がどういう文章を書くかというのは、その人を理解する上で結構大きな要素で、下手したら文章という要因だけでその人のことがぐんと好きになってしまうなんてこともあるわけで…(ちなみにドレスコーズ志摩遼平さんのことは「いいブログを書く人」として知ったのが始まり)

 

巷ではネトストなんて言葉が濫用されてますが、見せてるんだからいいではないかという開き直りの精神でいろんな人のブログを拝見しております、結構楽しい。

  

ブログを始めたのはすべて自分のためです。

主に何を書くのかは決まってませんが、すぐ忘れてしまう自分のために、よく殻に閉じこもって落ち込んでしまう自分のために、そう、基本はすべて自分のため、自分を俯瞰するために…書いていきたいと思っています。

もちろん読んでくれる人がいれば感謝感激雨あられなのですが。

 

よろしくおねがいいたします。